タイトル「別空間弐」


我々の世界とは別の空間世界…もちろん、実存している空間である。その空間世界に存在するグループの話をしよう。例えるならば、大きな光を送りつづける太陽を包みこむ、雨雲の如し…そんなグループの話である。

 其の二「襲撃」

それらは橋の裏にひっついてじっと時を待っていた。ある時は都会の豪華な石橋で、またある時は山奥の吊り橋で。形状は球状で、なにかの卵のようだ。色はピンクで、夜に淡く光を放っていた。もしかしたらその「時」がくるまでに、それをみた人は何人もいただろう。だが彼らは言わなかった。ドルナーバと同じように、彼らは話すことへの恐怖をしっている。話すことでどれだけわずかな賞賛と、どれだけ多くの代償をうけるかを知っている。そんな環境で卵はすくすくと成長を遂げた。言い方としては変だが、実際そういうものだった。

「おいネブラ殿…一体なにをしておられる」前回の騒ぎで「熊」と呼ばれた大男が小柄な男に疑問をぶつけていた。ネブラは命綱をまいた状態で、山奥の吊り橋の裏にひっついていた。こんな人間がいたら怪しすぎて近寄れないが、よくみると同業者。
話しかけないわけにはいかない。「あんたは何をしにきた?」ちょいと顔を出して「ん?」と言いたげな表情の彼は、ひどく幼くもみえる。「材料の調達だ」目をそらそうとする熊をみながら、ネブラは頭を働かせた。「山…森…枯れ木…新鮮な河水…そうか、確か今日がメラッサスの儀式だったな。あれはしんどいぞ」

メラッサスの儀式…三年毎に行われるドルナーバ流感謝祭のことである。感謝祭といっても、一般人は呼ばず、ただただ毎回くじで選ばれたドルナーバが一人で祭壇をつくり、一人で一晩中祈りをするという内容。他の幸運なドルナーバ達は数分毎に交代で、祈りの内容を見学していくという義務があったが、祈りを捧げる本人にとってはうっとうしいことこの上なし。実は今回、その熊が「祈り役」になってしまったのだった。

「それはそうと、本当に何をしている?」橋の真下、川のせせらぎが清々しい。「みてみたいか?」ごくりと唾をのむ熊。「あぁ」しばらく橋の裏でゴソゴソとなにかをいじっていたネブラは枝にくっついた「何か」を橋の上に投げた。ピンク色の物体はあまりにも不気味で、思わず一歩退いてしまう。「な、なんだこれは…」丁度ネブラが橋の上にあがって縄をほどいている頃だった。「合成生物の卵…タニシとなにかの融合らしい」「そんなことが可能なのか?」日が既に暮れつつある空をみあげ、ネブラがふっと笑った。「俺は生物研究には詳しくない…これからあのおやじさんに渡してこよう」それだけいって彼は枝を片手に駆けだし、たちまち見えなくなった。「…しかし何故あんな儀式があるのだろうなぁ」大きくため息をついた熊は森へはいっていった。

「うむ。是非そうしてくれ……ふぅ」受話器をおいて中年は一息入れた。中年といっても、会社の上級階級の人間で、実際この80階だてビルの78階に部屋をもっていた。と、彼は窓にへばりつく青年をみた。「どわっ!」慌てて目をそらすとその先に今みたのとと同じ青年がたっていた。「失礼しますよ、社長さん」中年は驚きに腰をぬかしていた。「い…いぃいっったい、何のようです?ハハ…」ネブラは恐怖のあまり笑い出した中年の前に枝きれをさしだした。さきのほうにピンク色の物体がついている。「今日はこれを調べてもらいたくて…」物体はネトネトしているらしく、枝をズルズルと滑っていた。まるで幼少の頃に国天然記念物に指定されていた、「ナメクジ」のようでもある。「はぁ、わかりました」「なにかわかったら、ドルナーバの俺の元まで電話してほしい。では、失礼」回れ右をして部屋をでたネブラを追い、中年は慌てて廊下にでたが、そこには開かれた窓があるだけだった。「まさか、ここから降りたというのか…」ここは78階。風が吹き付けている。窓を閉め、早速秘書に伝えた。「この棒きれをもって地下の科学室まで行ってくれ、きっと珍しがるだろう」
秘書は戸惑いながらも枝をうけとり駆けだした。…同じ頃ビルの屋上でネブラは呟いた。「のぼる…という手もありますよ」

しばらくして「どうだった?」と、中年が秘書に尋ねた。以外と興味があるようだ。
「はい、珍しがってはいましたが何かを恐れるように驚いておりました」おそるおそるはなたれた言葉をうけとり、中年はふむと唸った。「彼らには彼らなりの考えでもあるのだろう」その時、ドアがノックされた。「地下研究室のAJです。どうかあけてください!」「ん、はいりたまえ」威厳をだしながら中年がこたえ、ドアは開けられた。「社長、大変です。あの物体には有毒な成分が含まれています」一瞬の沈黙。
「な、なんだと?」「しかもあれは、既に増殖されているようです…」そのまま倒れそうになるくらい顔が青ざめた。「…何故それに気づかなかった…一般人へは私から話しておく。早急に対策を練るんだ」「わかりました」ドアが閉められた後、秘書は無言でうつむいていた。

ネブラは屋上でこのやりとりを聞いていた。その時丁度、数人の科学者らしき人物が外に飛び出していくのがみえた。「どれ、あまり俺の趣味ではないが…追いかけてみるか」彼は何かを予感し、家から家を飛び移り始める。科学者達はそれぞれ橋のもとへむかっていく。「どうやら、あれ全てとるらしいな」空は雲に覆われ、今に雨でも降り出しそうな状態だった。数分がたち、科学者達はビルのへ戻っていった。「…ん、まだ全て終わっていないではないか」だが口出しするわけにもいかないため、再びビル屋上へ戻ることにした。「…仕方ない、これ以外は全てあきらめよう。しかし橋の下など、誰がもつけたんだか…」議論が地下研究室で始まっているらしい。そっと聞くことにした。「ですがこれだけでも孵化させましょう。これほどあれば、この地区だけでも全滅に出来ます」「あぁ、ドルナーバが関係しないうちにはやく行ってしまおう」全滅…ドルナーバが関係しないうちに…まだこれだけでは不十分だったが、どうやら秘密ごとらしい。「うむ。わざわざ78階の中年に「有毒だ」といってまで守り抜いた…早く始めるぞ」有毒というのは嘘だった。つまり、あの連中は何かの目的のため、一時的に人目に付かない場所にあれを隠しておいた。それは孵化すると、この地区を滅ぼせる力を持つらしい。

「勢蛇励行…」ドルナーバの支部で、メラッサスの祈りが始まったらしい。熊は何事にも熱心な性格らしく、表情はきわめて真剣だった。そのため、街で行われている計画にはそう気づく者はいなかった。

「ならば、俺も急がねばならんな」彼は屋上からとびおり、外階段を使ってビルの地下研究室前までやってきた。ドアは開け放たれ、光が漏れている。「天我不眼…」己の姿を一時的に隠すまじないを唱えながらそっと室内へ侵入した。科学者達は全員普通の人間なので、簡単には悟られずにすむだろう。懐から出したテープで音声の録音を開始して様子をみていると、科学者達はピンク色の卵を並べて上から何かの機械をかけていた。一見プレスのようにみえるが、落下速度がないためプレスとは違う。孵化用の機械だと予測した。「さ、後は5分まつだけ。そうすれば、我らが地の底の誓いを果たせる」地の底…こいつらスパイだったのか。とにかく、残りはもう5分をきっている。その前にまじないで孵化をとめなければならない。「我天制長霧消…」
物事の進行を妨げる一種の破壊系の念である。基本的にまじないは長い方が効果があるとされている。

「渇闘親階陣刑…」熊によるメラッサスの祈りはもう中盤にはいっていたが、これからが最もきついところである。時間にして丁度4分後のところ。

「…なぁ」「…うむ」「お前も気づいていたか?」「当然だろう」科学者達が騒がしくなった。もうばれているだろう。といっても、ここを動けばさっきまでのまじないが全て無駄になる。邪念どころか、全てを捨て去り、「無」の状態となった。「長姪漢学礼賛美…」「よし、お前捕まえてこい」しぶしぶ立ち上がった科学者がこちらに迫ってきた。5歩、4歩、3歩、2歩、1歩…踏み出してきたところでネブラの本能が本人の意思に関係なく横に転がり、科学者の手を逃れ、相変わらずまじないを唱えている。「なにをしている、早々に捕らえろ!」「わかっている!いわれても、こいつちょこまかと逃げるんだ!」「…仕方ない、わしも手伝ってやろう」今度は二人がかり。孵化まであと2分…「小照湾銅間場…」次も自然と避けられた。

祈りはあと1分ほどでしんどいところにはいる。熊の表情も自然と引き締まった。
「鑑真帽剤目苦損昨割公名句…」

「それっ!」ついに捕まってしまった。ネブラは科学者達の持つ捕虫網のようなもので捕らえられてしまった。決して弱音ははかないネブラだが、彼は今仲間が行っていることを思い出した。メラッサスの儀式…確かメラッサスの儀式時に願えば、それはきっと叶うというおまけ的な伝説があった。今ここで意志を熊達にとばし、願いも祈ってもらえばこの卵の孵化はおさえられる。「さぁて、どこにいれていくか…」科学者が部屋をうろうろする頃、ネブラはふっと目を閉じて熊のまわりのドルナーバへ意志をとばした。熊の祈りがなければメラッサスの儀式は成立しない。故に、まわりのドルナーバに願いを唱えてもらえばいい。

メラッサスの儀式見学者のドルナーバが隣の者に耳打ちした。「おい…」「わかっている」彼らは熊の後ろに座り、同じようにまじないを唱え始めた。孵化まであと1分をきった。その間にもネブラの意志はドルナーバ達にとびつづけ、しだいにその人数も増えていった。「像猖獗馬路等…章鉄剣名…昇甲録…」

「あと10秒…7,6,5,4,3,2,1…」その瞬間、大勢のドルナーバ・儀式をしている熊・捕虫網内のネブラの声は一つとなった。「…将化秘」そして科学者達の表情はみるみるうちに落胆していった。「………んぁ?」卵はひらく前に砕け散り、消滅した。「成功したな、化学実験は」いつの間にか網からでたネブラは、科学者を人差し指で一人一人指していき、その人差し指にまじないを唱えた。「進退制命停」科学者達は突然、体が動かなくなったのを感じられた。

数時間後、警備員達によって地の底のスパイだった科学者達は捕らえられ、卵孵化計画は文字通り不発に終わった。

「おいネブラ殿…何をしている?」それから数日後、山に呼び出された熊が、橋の下に張り付いているネブラに尋ねた。ネブラは橋の下から顔だけだして答えた。「卵のついていたところの修復だ。もう二度とあんなことは御免だからな…」「やはりネブラの力は偉大であったな」ネブラは橋の下に顔を隠してふっと笑った。「お前さんがメラッサスの儀式を行わなければ、きっとあのようなことは思いつかなかったさ。本当に偉大なのはメラッサスの儀式をおこなったお前さんだよ」熊は呆気にとられた顔をしていた。「それだけのために呼んだのか?」「どうせ暇だろう…ついでに橋の修復を手伝ってくれないか?」熊は命綱を自分に結びつけ、ため息をもらして笑った。




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